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ヌートバーと聞いて、野球ファンならすぐに思い浮かぶのは、2023年のWBCで日本代表として活躍したラーズ・ヌートバー選手でしょう。
ヌートバー選手はアメリカのメジャーリーグでプレーする日系アメリカ人で、父親がオランダ系、母親が日本人のハーフです。
しかし、ヌートバー選手の家族にはもっと驚くべき事実があります。
実は、彼の兄も元プロ野球選手で、姉もソフトボール選手なのです。
そして、ヌートバー選手の母親は埼玉県出身の元ソフトボール選手で、父親とは留学先のアメリカで出会ったという感動的なエピソードがあります。
この記事では、ヌートバー選手の家族構成と、日本人の母との関係について詳しく紹介していきます。
ヌートバーの家族構成とは?
引用画像:婦人公論
ヌートバー選手の家族構成を調べてみました。
父はアメリカ人、母は日本人のハーフ
引用画像:X
ヌートバー選手の父親はチャーリー・ヌートバーさんという名前で、オランダ系のアメリカ人です。
チャーリー・ヌートバーさんはカリフォルニアポリテクニック大学で日本語を専攻していました。
ヌートバー選手の母親はクミ・ヌートバーさんという名前で、埼玉県出身の日本人です。
クミ・ヌートバーさんは専門学校を卒業した後、アメリカに語学留学していました。
両親の出会いと結婚
引用画像:Facebook
チャーリーさんとクミさんは大学の同級生で、日本語の授業で出会いました。
クミさんが日本に帰国した後、チャーリーさんも日本にホームステイすることになりましたが、ホストファミリーがキャンセルしてしまいました。
そこで、チャーリーさんはクミさんに助けを求め、クミさんの家に泊まることになりました。
その後、2人は恋に落ちて結婚しました。
ヌートバーの兄弟との関係
引用画像:中日新聞
ヌートバー選手には、兄と姉がいます。
兄のナイジェル・ヌートバーさんは、1993年3月24日生まれです。
ナイジェル・ヌートバーは日本で生まれましたが、アメリカで育ちました。
ナイジェル・ヌートバーも野球が得意で、元プロ野球選手です。
マイナーリーグで投手として活躍していましたが、現在は引退しています。
姉のニコル・ヌートバーさんは、1994年生まれです。
ニコル・ヌートバーさんも日本で生まれましたが、アメリカで育ちました。
ニコル・ヌートバーさんはスポーツトレーナーとして働いています。
兄と共に野球を始める
引用画像:日刊スポーツ
ヌートバー選手は5歳の頃から野球を始めました。
ヌートバー選手の兄であるナイジェルさんは、4歳年上で、元プロ野球選手です。
ヌートバー選手とナイジェルさんは、野球経験がある父親のチャーリーさんから野球の手ほどきを受けました。
また、高校までソフトボール選手だった母親のクミさんも、打撃練習やボール投げの相手をしてくれました。
ヌートバー選手とナイジェルさんは、小さい頃から一緒に野球を楽しみました。
ヌートバー選手は兄のナイジェルさんを尊敬しており、彼の影響を受けて野球に打ち込みました。
日本の祖父母との交流
引用画像:スポニチ
ヌートバー選手の母親の両親は、埼玉県東松山市に住んでいます。
ヌートバー選手は幼い頃から何度か日本を訪れており、祖父母と一緒に過ごした思い出がたくさんあります。
ヌートバー選手が9歳だった2006年には、高校日本代表の斎藤佑樹さんや田中将大さんらが米国に遠征した際、ホストファミリーとなり、一部選手がヌートバー選手の家に泊まりました。
ヌートバー選手は全日本選抜の帽子をプレゼントされ、全選手にサインも書いてもらいました。
この時の出会いが、ヌートバー選手の日本野球への憧れのきっかけになりました。
ヌートバー選手は、日本の食事や文化にも興味があります。
祖父母の家では、箸を使って納豆やみそ汁を食べたり、お正月には初詣に行ったりしました。
ヌートバー選手は祖父母に「日本人だから、日本の歌を歌えないとね」と言われ、君が代の練習をしていたそうです。
多文化の家庭での生活
ヌートバー選手は、多文化の家庭での生活を楽しみながら、自分のアイデンティティを見つけています。
ヌートバー選手は「日本人でもあり、アメリカ人でもある」と語っています。
ヌートバーの家族構成・日本人の母とのエピソード
引用画像:スポニチ
ヌートバー選手は母親と非常に仲が良く、大きな影響を受けていたそうです。
母の故郷での思い出
ヌートバー選手は幼い頃から何度か日本を訪れており、埼玉県東松山市に住む祖父母と一緒に過ごした思い出のエピソードを紹介しますね。
ヌートバー選手は祖父母の経営するガソリンの給油所で、時々手伝いをしていました。
ヌートバー選手は日本のお客さんに対して、挨拶やお礼の言葉を覚えて話そうと努力していました。
しかし、彼は英語の癖が抜けず、日本語のアクセントが不自然だったり、言い間違えたりすることもありました。
それでも、お客さんは彼の努力を評価して、笑顔で応えてくれたり、励ましてくれたりしてたとのことです。
そこでヌートバー選手は日本の良さを実感していき、日本に愛着が出てきたとのことでした。
母の料理に親しむ
ヌートバー選手はカリフォルニア州で生まれ育ちましたが、母親の影響で日本の食事や文化にも興味があります。
母親の久美子さんは、自分の子供たちに日本の味を伝えるために、よく日本食を作ってくれました。
ヌートバー選手は「納豆ご飯を毎朝食べている」と話しています。
また、お寿司やお好み焼き、餃子なども好きだそうです。
母の言葉や励ましに感謝する
引用画像:サンスポ
ヌートバー選手は、母の言葉や励ましに感謝することで、日本代表としての自信や誇りを持っています。
ヌートバー選手の母親は、埼玉県出身の日本人で、ソフトボール選手だった久美子さんです。
久美子さんは野球が大好きで、ヌートバー選手が少年野球を始めた頃から、庭でキャッチボールをしたり、ブルペンキャッチャーを務めたりしてくれました。
ヌートバー選手は「母は僕の手本、僕の全て。 そして最高の友達。 全てにありがとう」と感謝を伝えています。
久美子さんは野球に敬意を表して、すべてきちんとやるようにと言ってくれたそうです。
また、日本の文化や言葉にも興味を持たせてくれたそうです。
ヌートバー選手は、2023年のワールド・ベースボール・クラシックで日本代表として出場し、優勝に貢献しました。
表彰式後にチームメイトに胴上げされた時、母の久美子さんがオンライン中継でサプライズ登場しました。
ヌートバー選手は感極まって思わず涙を流しました。
「どんな息子でも母親に誇らしく思ってもらいたいもの。 あれは最高の瞬間だった」と語っています。
母との日本語レッスンが可愛い
ヌートバー選手は、日本代表として日本の歌や挨拶を覚えようと、母親の久美子さんに教えてもらっていました。
母親の久美子さんは、大学時代にアメリカへの留学経験があったため、アメリカでも英語を話していたそうです
そのため、ヌートバー選手は日本語を話す機会が少なかったのでしょう。
しかし、ヌートバー選手は日本の文化や言葉に興味があり、母親のレッスンに一生懸命取り組んでいました。
ヌートバー選手は「イタダキマス」や「ゴチソウサマデシタ」などの日常会話をマスターしました。
また、「君が代」の歌詞をローマ字で書いて、日本語で歌う練習もしていました。
ヌートバー選手の母との日本語レッスンは、ヌートバー選手の日本愛が伝わる可愛いエピソードだと思います。
母の直言で日本のしきたりを学ぶ
引用画像:Yahooニュース
ヌートバー選手は、2023年のWBC日本代表のメンバー入りを果たしましたが、その前に母親の久美子さんから「日本のしきたりになれなきゃ駄目よ」と厳しく言われたそうです。
久美子さんは、日本の野球には独自の文化やルールがあることをヌートバー選手に教えてくれました。
例えば、試合前にはグラウンドを掃除したり、相手チームに敬意を表したり、先輩や監督に敬語を使ったりすることなどです。
ヌートバー選手は、母親の直言を素直に受け入れて、日本のしきたりを学びました。
WBC本大会では、日本のファンやメディアからも好感を持たれる姿勢を見せました。
例えば、試合前にはグラウンドを掃除する姿が写真に収められたり、試合後には相手チームに一礼する姿がテレビに映されたりしました。
また、栗山英樹監督や先輩選手には敬語で話し、チームメイトとも仲良くコミュニケーションをとっていたとのことです。
ヌートバーの家族構成・日本代表としての活躍
引用画像:サンスポ
ヌートバー選手が日本代表に選出されるまでの経緯や活躍について調べてみました。
日本代表に選出されるまでの経緯
引用画像:毎日新聞
ヌートバー選手は、アメリカ国籍を保有するMLBのカージナルスに所属する外野手です。
ヌートバー選手は母親が日本人であることから、WBCの出場資格規定のうち「親のどちらかが、その国の国籍を持っている」「親のどちらかが、その国で生まれている」の2つに該当しています。
ヌートバー選手は幼少期から日本の野球に憧れており、9歳の時に高校日本代表の選手をホストファミリーとして受け入れたことがあります。
その時の出会いが、彼の日本野球への夢のきっかけになりました。
2022年にはMLBで108試合に出場して打率.228、14本塁打、40打点を記録し、注目されるようになりました。
12月23日には、第5回WBC日本代表の最終候補にリストアップされていることが報じられました。
2023年1月4日、第5回WBC日本代表のメンバー入りを果たしたことが報じられました。
1月11日には、栗山英樹監督からメンバー入りが確定したとの発言があり、 1月27日には、初の日系人選手として正式に日本代表に選出されました。
ヌートバー選手は、自分の国籍以外の国の代表となることについて、「日本人でもあり、アメリカ人でもある」と語っています。
ヌートバー選手は「アイ・ラブ・ユー」と熱意を伝え、日本代表としてのプレーを楽しみにしていました。
WBCでの華麗なプレー
引用画像:読売新聞
ラーズ・ヌートバー選手は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡エルセグンド出身のプロ野球選手で、セントルイス・カージナルスに所属しています。
2023年3月に開催された第5回WBC日本代表に選出され、攻守に躍動し、3大会ぶりの世界一奪回に貢献しました。
ヌートバー選手は、打撃では長打力と選球眼の良さ、そして変化球への対応に定評があり、狙い球を絞ってスイングするスタイル。
守備面でも、外野の全ポジションをこなし、スピードを生かした広い守備範囲と強肩が魅力。
WBC本大会では、決勝戦までの全7試合に「1番・中堅手」で先発出場し、26打数7安打、打率.269ながら7打点を記録し、7安打に対して7四死球を得て出塁率.424の好成績をマークしました。
特に、1次ラウンドプールBの日本-中国戦では、華麗な守備を披露し、スライディングキャッチでのファインプレーを見せました。
ヌートバー選手の活躍は、世界中の野球ファンから高く評価されています
日本とアメリカの野球の違いや共通点
引用画像:毎日新聞
ヌートバー選手は、日本とアメリカの野球の違いや共通点について、次のように語っています。
- 日本の野球は、アメリカの野球よりも「とても深く、熱く、情熱的」だと感じた
- 日本の野球は、アメリカの野球よりも「細かいところにこだわり、戦略的」だと思った
- 日本の野球は、アメリカの野球よりも「応援がすごくて、選手全員の応援歌がある」ことに驚いた
- 日本の野球は、アメリカの野球と同じく「チームワークが大切で、仲間と一緒に勝ちたいという気持ちが強い」ことを感じた
ヌートバー選手は、日本とアメリカの野球の違いや共通点を理解し、日本代表としてWBCで活躍しました。日本のファンからも愛されていますね。
ヌートバーの今後の展望
引用画像:産経新聞
ヌートバー選手の今後の展望などを調べてみました。
MLBでのさらなる成長と目標
ヌートバー選手は、MLBでのさらなる成長と目標について、次のように語っています。
オフシーズンには、カージナルスのスター選手であるノーラン・アレナドと一緒にトレーニングを行った 。
アレナドからは「打撃のフォームやメカニズム、メンタル面など」を学んだという。
ドライブラインというトレーニング施設で、スイングスピードや打球速度を向上させる練習をし、自己最高の打球速度を記録したことをツイッターで報告していました。
今後は、打率や出塁率を上げることを目標にしており、変化球への対応や打球角度の調整などを改善したいと考えている そうです。
また、守備面では、外野の全ポジションをこなせるようになりたいと述べており、強肩を生かしてランナーを刺すことも目標の一つだという 。
ヌートバー選手は、MLBでのさらなる成長と目標に向かって、努力を続けています。
日本でのプレーに興味があるか
ヌートバー選手は、現在はカージナルスのレギュラー格であり、メジャーでの活躍を目指しているため、日本でのプレーにはあまり興味がないようです 。
しかし、将来的には日本の球団からのオファーがあれば、検討する可能性はあるとも語っています 。
ヌートバー選手はWBCで日本代表としてプレーしたことで、日本の野球やファンに対する愛着を深めたと感じており、日本でのプレーは夢ではなく悪夢ではないとも言っています 。
日本の球界からも、ヌートバー選手の獲得に関心を示す声があるということです 。ですから、いつか日本の球場でヌートバー選手の活躍する姿が見られるかもしれないですね。
日米の野球の橋渡し役になりたい
引用画像:デイリー
ヌートバー選手は、日米の野球の橋渡し役になりたいという思いを持っています。
「僕は日本人です。日本を代表してここにいます」 という自己紹介をしたことがある。
それは、母が日本人であることに誇りを感じているからだという。
「日本の野球はとても深く、熱く、情熱的だと感じた。アメリカの野球とは違う文化や歴史がある。その違いを理解し、尊重し、学びたいと思った」 というWBC出場の動機を明かしていました。
「日本のファンやチームメイトからの応援は本当に力になった。日本の野球やファンに対する愛着は深まった。日本でプレーすることは夢ではなく悪夢ではない」 という将来の可能性を示唆しておりました。
ヌートバー選手は、日米の野球の橋渡し役になりたいという思いを持っています。
ヌートバー選手は、自分のルーツや経験を通して、日米の野球の違いや共通点を伝えることができると考えており、ヌートバー選手の活動は、日米の野球の交流や発展に貢献することでしょう。